芸能界きっての”元祖プレイボーイ”として知られる火野正平さん。
1949年5月30日生まれの日本の俳優で、その華麗な恋愛遍歴は多くの人々の注目を集めてきました。
数々の女優やタレントとの交際が報じられ、最高で11人の女性と同時期に交際していたと言われています。
しかし、興味深いことに、破局後も元カノたちから恨まれることが少なく、むしろ好意的に語られることが多いのが特徴です。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【女遍歴】火野正平の歴代彼女は9人!
火野正平さんの恋愛遍歴は、芸能界でも特に注目を集めてきました。
その魅力は、年齢を重ねても衰えることなく、多くの女性たちを魅了し続けました。
ここでは、明らかになっている9人の歴代彼女について、詳しく見ていきましょう。
火野正平さんの歴代彼女は、以下の通りです↓
歴代彼女①:一般女性
歴代彼女②:新藤恵美
歴代彼女③:紀比呂子
歴代彼女④:ホーン・ユキ
歴代彼女⑤:望月真理子
歴代彼女⑥:仁支川峰子
歴代彼女⑦:一般女性
歴代彼女⑧:松居一代
歴代彼女⑨:染谷まさ美
わかっているだけでも、9人の女性がいます。
では、詳しく見ていきましょう!
歴代彼女①:一般女性
1970年、火野正平さんは一般女性と結婚しました。
当時、火野正平さんは俳優としての活動を始めたばかりでした。
しかし、この結婚生活は長くは続かず、翌年には新たな恋が始まることになります。
1972年に別居となりましたが、興味深いことに離婚届は出されず、戸籍上は40年以上にわたり婚姻関係が続いていることが2016年に明らかになりました。
この女性との間には、1男1女をもうけました。
歴代彼女②:新藤恵美
1971年、女優の新藤恵美さんとの交際が始まります。
当時、火野正平さんは既婚者でしたが、この関係が発覚し、大きな話題となりました。
この不倫関係が原因となり、最初の妻との離婚につながったとされています。
歴代彼女③:紀比呂子
火野正平さんと紀比呂子さんの馴れ初めは、彼らが中学生の頃に遡ります。
紀比呂子さんが中等部3年生の時、火野正平さんは高等部2年生でした。
彼らは友人を通じて知り合い、紀比呂子さんの自宅に頻繁に訪れていた火野正平さんは、紀さんの母親である女優の三条美紀さんに対しても気さくに接していました。
火野正平さんは富山テレビ会長の次男であり、大学卒業後には金沢市内のホテルで専務として働いていました。
当初、二人は結婚相手として意識していなかったものの、その後、火野正平さんは他の女性とお見合い結婚をし、紀比呂子もまた多くの男性との関係が報じられることがありました。
しかし、1977年には二人の熱愛が報じられました。
最終的に紀比呂子さんは1982年に中学時代の先輩と結婚し、女優業を引退しています。
このように、二人の関係は若い頃から始まりましたが、結婚には至らず、それぞれ別々の道を歩むことになりました。
歴代彼女④:ホーン・ユキ
1977年、アイドルのホーン・ユキさんとの交際が報じられました。
当時、ホーン・ユキさんは若手の人気アイドルとして活躍していました。
火野正平さんとホーン・ユキさんの馴れ初めについては、主に1970年代にさかのぼります。
火野正平さんは当時、数多くの女優と浮名を流しており、その中にはホーン・ユキさんも含まれていました。
しかし、お二人の恋人関係は長続きしなかったようです。
ホーン・ユキさんは1979年に俳優の入川保則さんと婚約し、その後結婚しました。
このため、火野正平さんとの関係は一時的なものであったと考えられます
歴代彼女⑤:望月真理子
火野正平さんと望月真理子さんの馴れ初めについては、1978年に二人の熱愛が報じられたことが知られています。
望月真理子さんは当時女優として活動しており、火野正平さんとの関係は不倫であったとされています。
望月さんはこの関係により妊娠し、未婚のまま火野正平さんの子供を出産しました。
この子供は「ひな」と名付けられ、火野正平さんはその子供を認知しています。
火野正平さんは父親としての責任を果たしていました。
歴代彼女⑥:仁支川峰子
1981年、歌手で女優の仁支川峰子さんとの交際がスタートします。
二人の馴れ初めは、ドラマの打ち上げでの飲み会がきっかけでした。
この場で、仁支川さんは火野さんから
「7番目の愛人です」
と告げられたと語っています。
仁支川峰子さんは当初、自分がそのような立場であることを知らず、後に他にも愛人がいることを知ることになります。
その後、仁支川さんは火野さんとの関係を続ける中で、彼の内縁の妻の存在を知り、これが別れの原因となりました。
仁支川さんは「内縁の妻と出会ったことで、私から交際をやめましょうと言いました」と述べています。
このようにして、彼女は火野さんとの関係を約半年後に自ら終わらせる決断をしました。
火野正平さんは当時から本妻とは離婚しない意向を持っており、そのため仁支川さんとの関係も不倫として続いていました。
仁支川さんは火野の生き方について「籍を入れたままの状態で、いろんな方と出会う方が自由に出会えるということだったと思う」と振り返っています。
歴代彼女⑦:一般女性
1982年、新たな一般女性との同棲生活が始まります。
火野正平さんは、1982年に元宝塚歌劇団の鳳蘭さんのマネージャーであった女性と出会いました。
この出会いは、ドラマの打ち上げの場でした。
当時、火野さんは仁支川峰子さんとの関係が続いていましたが、この新しい女性との関係が親密になっていきました。
この女性との間には2人の娘が生まれており、現在はジュエリーデザイナーとして活躍しています。
お二人とは長年事実婚の関係にあり、一緒に暮らしていましたが、法律上の結婚はしていませんでした。
火野正平さんは、1971年に最初の妻と結婚し1男1女をもうけましたが、その後別居しました。
しかし、実際には離婚していないことが2016年に判明し、事実上の未入籍状態で生活していました。
火野さん自身は、
「籍を抜いて今の母ちゃんを入れてやりたいが、最初の妻も思うところがあるんだろう」
と語っており、複雑な家庭状況を抱えていたことがわかります。
火野正平さんと事実婚のパートナーとの間には良好な関係が続いており、家族との時間を大切にしていたことが報じられています。
毎年ハワイで過ごすことを楽しみにしていたとも伝えられています。
歴代彼女⑧:松居一代
1985年、タレント・女優の松居一代さんとの関係が週刊誌で報じられます。
火野正平さんと松居一代さんは、1984年に映画で共演したことがあるとされています。
この時期から彼らの関係が始まったと考えられていますが、具体的な交際の事実は確認されていません。
交際報道について松居さんは後年、事実無根であると否定しています。
彼女は「モーテルから出てきた」とする報道に対して法的措置を取る意向を示し、「男女のお付き合いをしたことはありません」と強調しました。
この騒動は、テレビ番組『上沼・高田のクギズケ!』で火野正平さんの女性遍歴が話題になったことが発端です。
番組内で松居一代さんと火野正平さんがモーテルから出てくるところを目撃したという話が取り上げられました。
この発言が松居にとって非常に不快だったようで、彼女はこの件について長い間耐えていたと述べています。
結局交際の真相は明らかになっていませんが、当時の火野正平さんの魅力がいかに注目を集めていたかを示すエピソードとなっています。
歴代彼女⑨:染谷まさ美
近年になって、女優の染谷まさ美さんとの熱愛が報じられました。
火野正平さんと染谷まさ美さんの馴れ初めについては、共演がきっかけであるとされています。
お二人は1970年代に共演したことがあり、その際に親しくなったようです。
火野正平さんは、特に女性との関係において非常にオープンであり、交際は共演を通じて始まることが多かったとか。
「今度、ゴハンでも食べに行こう」という軽い誘いから交際に発展することが多かったと語っています。
また、染谷さんは「女版・火野正平」と呼ばれるほど、自由奔放な恋愛観を持つ女優として知られていました。
二人は価値観の共有もあり、互いを理解し合える関係だったと言われています。
このように、火野正平さんの歴代彼女たちとの関係は、それぞれに特徴的なストーリーを持っています。
注目すべきは、多くの元カノたちが火野正平さんのことを悪く言わないという点です。
それは彼の人柄の良さと、誠実な対応を示す証でもありました。
火野正平は最高11股のモテ男で握手すると妊娠との噂も!
最も話題を集めたのは、彼が、
最高で11人の女性と同時期に関係を持っていた
という衝撃的な事実です。
この「11股」という事実は、火野正平さん自身も認めており、ある番組で「犬の散歩だった」と冗談めかして言い訳したエピソードは有名です。
実は、この時期に6週間もの間、浮気相手のもとに通い続けていたのだそうです。
しかし、不思議なことに、この告白が世間から非難されることはほとんどありませんでした。
その理由として考えられるのは、火野正平さんの独特な魅力と人柄です。
彼は決して強引な態度を取ることなく、女性の気持ちに寄り添う姿勢を持っていました。
また、関係が終わった後も、相手の女性たちとの良好な関係を保ち続けることができていたようです。
そして、火野正平さんの恋愛に対する誠実さも注目されています。
例えば、望月真理子さんとの間に生まれた子供を正式に認知し、父親としての責任を果たしました。
また、35年にわたって事実婚状態で暮らした一般女性との間に生まれた二人の娘たちにも、しっかりとした愛情を注ぎました。
「11股」という事実は確かに衝撃的ですが、それは単なる遊びではなく、それぞれの女性との真摯な関係があったからこそ、可能だったのかもしれません。
火野正平がモテる5つの理由は?
特別なイケメンというわけではない彼が、これほど多くの女性を魅了できた理由を探ってみましょう。
火野正平さんがモテる理由は、以下の5つが当てはまります↓
①自然体
②抜群のコミュニケーション能力
③母性本能をくすぐる魅力
④記憶力
⑤ユーモアセンス
では、一つずつ見てきましょう!
火野正平がモテる理由①:自然体
まず挙げられるのは、火野正平さんの「自然体」な魅力です。
彼は自身について「男になりたくない」と語り、無理に男らしさを演出することなく、素のままの自分でいることを大切にしていました。
この姿勢が、かえって女性たちの心を掴む要因となっていたようです。
火野正平がモテる理由②:抜群のコミュニケーション能力
次に際立つのは、抜群のコミュニケーション能力です。
火野正平さんは「恋は送信より受信」という言葉を座右の銘としていました。
相手の気持ちを理解しようとする姿勢、そして適切なタイミングで的確な言葉をかける能力は、多くの女性たちを惹きつけました。
火野正平がモテる理由③:母性本能をくすぐる魅力
また、火野正平さんには独特の「母性本能をくすぐる」魅力があったと言われています。
時に天然な一面を見せながらも、芯の強さを持ち合わせているという複雑な性格が、女性たちの保護本能を刺激したのかもしれません。
年齢を重ねても衰えない好奇心も、彼の魅力の一つです。
「何歳になっても恋っていい」という言葉を残していますが、この前向きな姿勢が、周囲の人々を元気づける効果を持っていました。
NHK『にっぽん縦断 こころ旅』での自転車旅も、その旺盛な探究心の表れと言えるでしょう。
火野正平がモテる理由④:記憶力
さらに、火野正平さんの「記憶力」に優れています。
交際相手一人一人との思い出を大切にし、それぞれの女性の好みや性格を細かく覚えていたと言われています。
この細やかな気遣いが、たとえ別れた後でも良好な関係を維持できた理由の一つでしょう。
火野正平のモテる理由⑤:ユーモアセンス
ユーモアのセンスも見逃せません。
深刻な状況でも笑いに変える能力があり、
「握手したら妊娠する」
といった冗談も、彼ならではの魅力として受け入れられていました。
このような明るい人柄が、周囲の人々を惹きつけていたのです。
火野正平さんは、魅力たっぷりな方ですね。
女性にモテるのも納得です!
まとめ
今回の記事は、
・火野正平の歴代彼女は?
・火野正平は元祖モテ男で最高11股?
・火野正平がモテる理由は?
こちらの内容でまとめました。
火野正平さんの華麗な恋愛遍歴を振り返ってきましたが、彼の魅力は単なる「プレイボーイ」という枠には収まらない、深いものでした。
9人の歴代彼女たちとの関係は、それぞれに特徴的なストーリーを持ち、最高で11人との同時交際という驚きの事実も明らかになりました。
しかし、注目すべきは、その関係性の質の高さです。
望月真理子さんとの間の子供を認知し、35年にわたる事実婚で二人の娘を育てるなど、火野正平さんは常に責任ある態度を貫きました。
そのモテ力の源泉は、「自然体」な魅力、抜群のコミュニケーション能力、そして「恋は送信より受信」という独自の恋愛哲学にありました。
年齢を重ねても衰えない好奇心と、相手への細やかな気遣いは、多くの女性たちの心を掴んで離しませんでした。
2024年11月14日に75歳で亡くなった火野正平さんですが、その恋愛観と生き方は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれているのではないでしょうか。
誠実さと遊び心を併せ持ち、相手を大切にする—その姿勢こそが、真の魅力なのかもしれません。
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